開催終了
和菓子の『末富』さんトークナイトを行いました!
少しずつ春めいてきて、桜が待ち遠しい季節になりましたね^^
昨晩は、1893年、明治26年創業の京菓子屋さん『京菓子司末富』の、
3代目代表 山口さんをお招きし、トークイベントを行いました。
末富さんのお向かいにaeru gojoをオープンさせていただき、
山口さんにはいつもとてもお世話になっております。
今回のイベントのために、末富さんとaeru gojoがある、
この地に縁の深い和歌からイメージを膨らませ、
特別な和菓子を作ってくださいました!
「さざなみや 志賀の都は あれにしを
むかしながらの 山ざくらかな」
(平忠度『千載和歌集』66)
「さざ波の寄せる琵琶湖畔の志賀の都は、荒れ果ててしまったけれども、
長等山(ながらやま)の桜だけが、昔と同じように美しく咲いているよ。」
この和歌は、末富さんとaeru gojoから、歩いて30秒ほどのところにある、
『新玉津島神社』に、深い縁があるものです。
平安時代にできた新玉津島神社には、歌の神様が祀られています。
平安時代の末期、この神社は、歌人である藤原俊成の、
お屋敷の敷地内に位置していたそうです。
俊成はここで、『千載和歌集』を作っていました。
当時は、源氏と平家の内乱の時代。
源氏に追われ、平家が都落ちするときに、
自分の和歌を『千載和歌集』に載せてもらいたかった平忠度(たいらのただのり)は、
「一首だけでも…!」と、危険を承知で俊成のもとへ引き返し、
自作の和歌を書いた巻物を託したのだとか。
そして俊成が『千載和歌集』に載せたのが、
今回の和菓子のもとになった和歌でした。
都落ちをする平家の方が詠んだ歌だと知ると、
いっそう心に迫ってくるように感じられます。
「さざなみや 志賀の都は あれにしを
むかしながらの 山ざくらかな」
(平忠度『千載和歌集』66)
私たちが今いるこの場所で、平安時代に起こった出来事。
一つの和菓子から、当時の情景が思い浮かぶようで、
和菓子の面白さを実感することができました。
とても貴重な機会をくださった山口さん、
本当にありがとうございました!
aeru gojoにお越しの際は、末富さんと新玉津島神社へ、
ぜひお立ち寄りいただければ嬉しいです^^
aeru gojoホストマザー(店長)田房
参加申込み
このイベントは終了いたしました。